2015年


ーーー11/3−−− おてしょう


 
この地で宴会に参加したら、近くの席の人から「おてしょうを回してくれや」と言われて面食らったことがある。「おてしょう」の意味が分からなかったからである。その後学習した。おてしょうとは、小皿のことであった。

 最近になって、何故小皿をおてしょうと呼ぶのか、ネットで調べてみた。手塩皿のことを簡略化しておてしょうと呼ぶと書いてあった。手塩とは、食膳に備える塩で、元々はその場の不浄を払う目的だったが、手で摘んで料理にかけ、自分で味を調整するためにも使われたようだ。その手塩を載せる小皿が手塩皿。

 要するに、取り皿のことである。ちなみに「手塩にかける」とは、手塩を使って味を微調整するように、きめ細かく面倒を見る事だとか。ともあれ、耳慣れない言葉と言うものは、とかく奇異な印象を与える。このおてしょうも、私にとっては不思議な響きを持った言葉だった。ところが家内は、千葉の実家でこの言葉を聞いたことがあるという。調べてみたら、国内で結構一般的に使われているようだった。私が知らなかっただけということか。

 そういえば、「わにる」という言葉も、この地で初めて聞いた。照れるとか、恥ずかしがるという意味である。愛嬌のある響きが印象的な言葉で、当初はちょっと驚いたものだった。しかし家内は、これも実家で使っていたと言った。

 ところで右の画像は、私のおてしょうである。漬物を盛る、醤油を注ぐ、などに使う。そのような用途に、私はこの皿しか使わない。私の専用皿である。おてしょうとは言わず、マイ小皿と呼んでいる。他の食器とは違う場所に保管してあり、毎日食事のたびに、そこから取り出して使う。家の中に小皿は山ほどあるが、この一枚だけは特別扱いである。決まった用途のために、決まった食器を使うというのは、なかなか良いものだ。安っぽいものではつまらないが、品質が良いものなら、使っていくうちに愛着が増す。これは昨年の木工グループ展の際に、漆工芸作家から購入したものである。漆塗りだから、使っていくうちに、味わいが増すだろう。手塩にかけて、大切に使っていきたい品物である。 





ーーー11/10−−− たけとり


 信州で暮らしていて、ときどき思い出す言葉がある。「たけとり」という言葉である。耳で知っただけなので、どう書くかは分からない。意味から察すれば、たぶん丈取りではないかと思う。

 何時この言葉を知ったかと言えば、田中康夫名刺折り曲げ事件の時である。田中康夫氏が長野県知事に当選し、初登庁した際に職員に名刺を配った。それをとがめたある局長が、知事の目の前で名刺を折り曲げた。それがニュースで報道されると、全国から非難のメールが殺到し、県庁は大混乱になった。局長は、しでかしたことの重大さを悟り、辞表を提出したが、知事は慰留したという事件。

 連日のようにこの事件がテレビで報道された。ある番組で、ニュースキャスターが「何故局長はあんな行動に出たのか?」と、スタジオに招いた県内の識者に問うた。識者は「あれはいわゆるたけとりですね。信州ではよくあることです」と言った。その語の意味として、「初めて会った人に対して、ギョッとするような言動、行動を行い、相手をひるませて、自分を優位に立たせようとする行為」と説明した。私がたけとりという言葉を耳にしたのは、この一回きりであるが、とても印象に残ったので、いまだに忘れない。

 別に信州に限った事ではないと思う。どこにでも、そういう人はいるものだ。初対面の相手に甘く見られたくないという思いから、専制攻撃でガツンとやってやろうという考えは、ありがちな事である。しかし、その行為をひと言で表わす言葉があると言うのは、信州ならではの事か。

 第一印象というのは重要である。後々まで尾を引いて、人間関係を決定付けることもある。良い第一印象を与えるためには、誠実であることが一番だと私は思う。気性が激しい人、穏かな人、いろいろあるだろうが、飾らずに素を出せば、相手に心が通じるものだ。それに確信が持てないのか、あるいは何らかの不安があるのか。束の間の優位を手に入れるために、姑息な手段を弄するのが「たけとり」である。しかし、そのような事をしても、いずれはメッキが剥れ、無理が祟って評判を落とすのがおちだ。それに多少の時間がかかる事もあるだろうが、24時間以内に決定的な結果が出たのが、上に述べた名刺折り曲げ事件であった。

 それにしても、たけとりが失敗に終わり、見る影も無くうな垂れ、萎んでしまった局長の姿は、見ていて気の毒なくらいだった。それなりの地位の人だったはずなのに・・・




ーーー11/17−−− 炭鉱


 朝の連ドラで、炭鉱のシーンがあった。その中で、炭鉱を買い取った主人公が、鉱夫たちに向かって「一番大切なのは石炭を掘り出す皆様方です」と叫ぶ場面があった。それを見ていて、思わず苦笑いをした。大切だったのは間違いないだろう。しかし、大切にされたかどうかは別である。

 父は大学を卒業すると、ある鉱山会社に就職した。その後間もなく、系列の炭鉱会社に移った。いきなり部下が何十人もいるという、エリート幹部待遇である。その当時、石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれ、石炭産業は活況を呈していた。

 これから述べることは、折に触れて父から聞いた、思い出話である。その父は9年前に亡くなったので、もはや真偽のほどを確かめようが無い。ひょっとしたら、父が面白がって誇張した部分もあるかも知れない。その程度の話ということで、ご覧頂きたい。

 父は在籍中ほとんど東京の本社勤務だったが、ほんの一年程度、北海道の山元に勤めていたことがあった。鉱山事務所の所長という役職で、父はその立場を「城代家老」と呼んで後年懐かしんだ。

 炭鉱で働く鉱夫とその家族は、炭住と呼ばれる社宅に住んでいた。真っ黒に煤けた木造の長屋が、北国の雪空の下で、押しつぶされそうにして軒を連ねていた。それに対して、事務職の幹部は、一戸建ての大きな家に住んでいた。贅沢な作りではないが、宴会が出来るほどの座敷が付いていた。その座敷で父は、同僚を集めては、マージャンをやっていた。

 社有のクラブもあった。小さな町では目立つ、贅沢な施設だった。もちろん幹部専用である。そこのロビーには、当時まだ珍しかったテレビが有った。そのクラブでも、よくマージャンをやった。夕方になると職場の席に「○○時クラブ集合、マージャン」などと書いたメモが回ってきた。

 炭鉱が唯一の産業であり、炭鉱会社の城下町のような地域である。社の名を出せば、料亭などではいくらでもツケが利いた。社員なら誰でも、御姉様方からモテモテだった。命がけで働く鉱夫とはかけ離れた、幹部たちのお気楽な生活であった。

 それでも、ひとたび事故が起きると、大騒動となった。殺気立った鉱夫たちが、ツルハシやスコップを手に、所長の家に押しかけた。そういう時は決まって、父は姿をくらました。「所長を出せ!」と凄む男たちを相手に、母はなんとかその場を取り繕ったと言う。母は、変な時刻にサイレンが鳴ると、山で事故が起きたかと怯えたものだった。城代家老の妻は、大変だったのである。

 そう言えば、本社から所長宅へ掛かってくる業務連絡の電報は、暗号文だった。それを解読表を使って平文に直して父に届けるのは、母の役目だった。

 山元での勤務が終わり、町を離れる日、駅には見送りの人々が大勢集まった。その中に水商売らしき女がいて、父に寄り添って涙を流しているのを見て、母は愕然としたそうである。

 東京での勤務もお気楽だった。夜ごと社長や重役に付き添って、柳橋の料亭でお座敷遊びをした。役人の接待も、盛んにやった。役人のほうも遠慮が無かった。花見の時期になると、役人の幹部が社に現れ、各部を回って宴会費用を無心した。各部の長たちは、「勧進帳が回ってきた」とか言って、競い合うようにして現ナマを差し出した。

 父は、運転手付きの車で通勤していた。休日には、その運転手を使って、行楽のドライブに出掛けた。都心に社のクラブがあり、よくパーティーをやっていた。私も時々連れて行かれたことを覚えている。

 そんな栄華を誇った石炭業界も、世の中に石油の消費が広まるにつれて、一気に衰退した。父が勤めていた会社も、数年のうちに急降下して、結局倒産した。その倒産に際して、社員の一部から、経営陣の長年に渡る無策を批判する声が上がったそうである。

 晩年になって父はこう言った「会社のことを批判する人は多かったけれど、ボクは今でも会社を恨んだりする気は無いね。あれだけ好き勝手に遊んでいれば、会社も潰れるだろうが、ボクもそのうちの一人だから・・・」




ーーー11/24−−− ウエルダン


 
テレビ番組で、日本の有名な女優が、フランスのワイン産地へ出掛け、地元のレストランでワインを飲みながらステーキを食べるというシーンがあった。ウエイターが「焼き加減はどうしますか?」と聞いたのに対し、女優は「良く焼いたのが好きです」と言った。私は、止めとけばよいのに、と思った。こんな経験があったからである。

 会社勤めをしていた頃、英国はマンチェスターに暫く滞在したことがあった。ある晩、同僚と、英国人エンジニアの三人で、夕食に出た。レストランに入り、席に着き、メニューに目を通した後、私と同僚はステーキを注文した。ウエイターが「焼き加減はどうしますか?」と聞いた。私は「ミディアム・レアで」と答えたと記憶している。ところが同僚は「ウエルダン」と答えた。「良く焼いて」の意味である。私は一寸驚いた。自分の好みだが、牛肉は半生にぎりぎり熱が通っているくらいが美味しいと思っていた。赤身から肉汁が垂れるくらいの焼き加減が、ステーキで一番美味しいと決めていたのである。だから、ウエルダンなんか頼んで美味しいのかと思った。しかしその私も、異国の地でのウエルダンの意味を、過小評価していた。

 届いた皿に乗っていたステーキは、想像以上に良く焼けていた。焦げてこそいないが、肉汁が出切って、身がギュッとしまり、カチカチに固くなっているのが、一見して分かる代物だった。私としては、頼まれても食べたくないようなステーキである。同僚もちょっと意外そうな顔をした。それでも、ナイフとフォークを握り、食べ始めた。切るのも固くて大変そうだった。切り分けると、肉の中まで完全に火が通って、白っぽかった。同僚は、二、三回口に運んだ後、「これ、ちょっと固いな」と言った。なんとか食べ終わったが、完全に持て余した感じだった。

 日本国内の常識とはかけ離れて極端なことが、外国ではあるのだという事を、私はステーキの焼き方に見た。

 さて、綺麗な女優さんの前に出てきたステーキは、そんなカチカチな固まりではなかった。ナイフを入れると、赤身が現れ、肉汁がにじみ出た。画面には出なかったが、スタッフがアドバイスをしたのかも知れない、と思った。そのステーキを、女優さんは美味しそうに食べた。
 








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